2008年04月01日
ガイウス・ユリウス・カエサルの亡命
見ていると本当に興奮しますよね。
大好きです。
ガイウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Gaius Julius Caesar、ガーイウス・ユーリウス・カエサル、紀元前100年7月13日 - 紀元前44年3月15日[1])は、古代ローマ(共和政ローマ)最大の軍人、政治家。また文筆家としても有名。
民衆派の抵抗を受けたがローマ市を制圧。紀元前83年に終身独裁官となり、政治的に対立する民衆派を「処罰者リスト」を作成し徹底して粛清した。血縁としてマリウスに近く、またキンナの女婿であるカエサルも当然この処刑リストに名が載り、彼はあやうく殺されそうになった。しかしこのとき、カエサルはまだ18歳で政治活動をしたことのない若者であったことから、スッラの支持者、果てはローマで大変敬意を表されているウェスタ神の巫女からまで助命嘆願が相次ぎ、スッラもこれにしぶしぶ同意する。そのときスッラは「君たちにはわからないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」と語ったと伝えられる。代わりにスッラはキンナの娘コルネリアとの離婚を命じたが、カエサルは拒否し、スッラの追手から逃がれるため、紀元前81年に小アジア・ギリシアへ亡命した。
ローマから亡命したカエサルは属州での軍務に就く。アシア属州のマルクス・ミヌキウス・テルムスのもとでシキリア駐屯の軍に籍を置き、そこでの業績で「市民冠」を授与された。そしてビテュニア遠征の際に支援したニコメディア王のもとに非常に長期間滞在する。スエトニウスによれば、この時に王と若いカエサルは男色関係にあったのではないかという噂が立ち、この噂は彼の生涯に渡ってつきまとったという。前述の高位神官職は、亡命し軍務に携わるようになってから辞めたものと思われる。神祇官は馬に触ること、また自分の寝室を3日間空けて寝ることは許されていなかったからである。
この頃ローマでは、制度疲労に陥っていた元老院の綻びを直し終わったスッラが紀元前80年に終身であった独裁官を辞していた。このスッラの行動を後年、カエサルは「スッラは政治イロハを分かってはいなかった」と評したという。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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